西浦南小学校は今年創立100周年を迎えました。学校のあゆみをふるさとの

歴史的エピソードを交えながら紹介します。
シリーズ 学校100年・ふるさと100年
@<学校の始まり>

西浦南小学校区では明治6年(1873年)に初めて学校という言葉がでてきま

す。このときは今の学区全部が一つの学校ではなく、古場では安養寺、苅屋では

安楽寺に仮校舎を開設しました。安養寺の古場校には古場、熊野、檜原地区の子

どもが所属し、安楽寺の苅屋校には苅屋地区の子どもが所属しました。

 江戸時代から寺子屋といってお寺が学校の役割を果たすことがありました。今

の安楽寺は天保10年(1839年)、立川甚右衛門重富、守山左右衛門らによ

って建造されました。甚右衛門は、江戸幕府から特別に「内匠(たくみ)」の称

号を受けた天下一の彫刻宮大工で立川流総帥立川和四郎富昌(長野県諏訪)の弟

子で、上野間出身の宮彫刻の名工です。安養寺も立川流知多一門によって造られ

たと思われ、どちらも当時の日本文化の香りがする建物です。おそらく、お寺が

新設されたころからこの地区も寺子屋が始まったのでしょう。その後学校となっ

ていったと思われます。

       
      安楽寺資料 彫刻と下絵 立川甚右衛門重富作


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